メッセージ

小さなころは黒柳徹子さんのように困っている人を助ける仕事がしたいと思っていました。小学生のときテレビで、有名ミュージシャンが大きなチャリティーイベントをやっているのを観て、一つのことを極めるとどんなことでも人の為になる仕事が出来ると考えるようになりました。それからというもの、趣味だった洋服作りを極めて人の役に立つ仕事が出来るような人になりたいと、洋服作りの習得に没頭しました。

ひみつのおしゃれ工房のかたちを思いつくに至ったのは3度の海外での経験と、こどものころから参加している地元のNPO活動が影響しています。
洋服の専門学校を卒業してからすぐに、ロサンゼルスに語学留学しました。 ロサンゼルスにいるときは、ダウンタウンの近くにある生地の問屋街によく行っていました。ダウンタウンの周辺はとても治安が悪く、ホームレスがたくさんいたり、移民の貧しい家族が路上でスナックを売っていたり日本では見たことのない貧しい人たちをたくさん見て驚きました。あるとき友達にハリウッドの山からロサンゼルスの街の夜景を見ることができる公園に連れて行ってもらいました。「ハリウッドの山の豪邸からセレブリティーたちが見ている夜景は、ダウンタウンの貧しい人たちが灯している明かりだったんだな。」と気が付いたとき華やかな世界での仕事に関心がなくなってしまい、人の暮らしに密着した働きかたがしたいと思うようになりました。

その後、日本の縫製サンプル工場に勤めました。そこで上海の工場に1年間駐在する機会をもらいました。 中国では地方から出稼ぎにきた若者たちが世界中の人の服を作っていました。 あるとき見学に行った地方の工場では、中学を卒業したばかりの十代の女の子たちが寮つきの工場で朝から晩まで毎日日本人の服を作っていました。 その工賃がとても安くて驚きました。 きっとこの服は日本では安く売られて、簡単に捨てられてしまうんだろうなと思い、その工場のスタッフ達が大変な環境で一生懸命作っていることを考えるととても悲しくなりました。

「洋服で役に立つ仕事がしたい」と思っていたのに、現在のアパレル業界は環境も人間も大切にしていないことに気が付いて、捨てられた洋服のことに関心を持つようになりました。そして会社を辞めてリサイクル古着屋で古着の流れを勉強することにしました。

同じころ、友人に紹介してもらった千葉にあるNPO法人JFSAのプロジェクトをお手伝いさせていただく機会がありました。パキスタンのスラムにある学校内に、学校の卒業生や生徒のお母さんが安全に働ける縫製工場を作るプロジェクトで、私の縫製工場での経験を買われアドバイザーとして現地視察に同行させていただきました。パキスタンでの貧困層の暮らしは想像を絶するものでした。

女性も働かないと生活が立ち行かない状況の中、宗教上の問題などで女性が安全に働く環境が少く、児童労働も行われていました。パキスタンには大きな古着問屋街があり、世界中から集まってきて古着が細かく仕分けされ販売されていました。 世界中から集まってくる古着も結局処理しきれず、ゴミ捨て場で野焼きされているのが現状です。着なくなった服を海外に寄付するキャンペーンをよく目にしますが、いいことばかりではありません。また、パキスタンはコットンの産地で、地方では安価なコットンを生産するためにたくさんの農薬を使っていて女性やこどもたちに健康被害がでていることも教えてもらいました。

いろいろな土地で洋服やアパレル生産について考えるうちに、既存のアパレル生産ではなく、自分の育った土地で人の暮らしに寄り添った洋服の生産を出来るようになりたいと考えるようになりました。

そんな時期、こどものころから参加しているNPO活動などを通して、色々な事情を抱えて困っている人がたくさん隠れていることに気がつきました。様々な事情のある方々が自宅でそれぞれのペースで仕事ができ、工場のように流れ作業で生産をしていく仕組みが作れないかと考えたのがひみつのおしゃれ工房のはじまりです。

現在は事情があって働きに出ることが出来ない方々十数人と一緒に生産活動をしています。 子育て中の方、障がいをお持ちの方、学校にいけないお子様がいらっしゃる方、病気をお持ちの方、高齢の方、介護、ペットが病気の方…。働きに出れない事情は様々ですが、皆さんそれぞれのペースでお仕事をして下さっています。

地域にはまだまだ様々な事情で困りごとを抱えている方がたくさんいます。 少しでも多くの方を受け入れられるように今後も環境を整えていきたいと考えています。 また、今後は昨今のアパレルの大量生産大量廃棄の問題にも対応出来るように、リサイクル・繊維の再生について取り組んでいきたいと考えています。

ひみつのおしゃれ工房
代表 佐々木和枝

プロフィール
中学卒業後、服飾専門学校に入学
2002 アメリカロサンゼルスに語学留学
2005 日本のサンプル縫製会社に入社
2007 同社の上海工場に駐在
2009 退社後、リサイクル古着屋でアルバイトをしながら在宅で縫製業をスタート
NPO法人JFSAにてパキスタンのスラムに縫製工場を設立する活動に技術指導員として参加
2015 サンプル縫製、小口量産の在宅縫製業者として独立

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